九月の行事

9月9日は重陽の節句です。陰陽五行で奇数は陽数、偶数は陰数と考えていて、その陽数の最大数が重なる日であることから「重陽」と言われています。

菊の被綿(きせわた)、菊湯、菊酒、菊枕など、菊を様々に用いて長寿を願う重陽の節句は、「菊の節句」とも呼ばれます。そしその菊の節句には、菊の香りを移した菊酒を飲み、栗ご飯を食べて菊花を観賞する風習があります。

 

このように、菊とともに重陽の節句と関係が深いものが栗なのです。栗は稲作が普及する前の縄文時代から、里芋やトチの実などと並んで主食に近い食糧だったことからも、栗を食べる行事は縄文時代から続けられてきた祭事と言われ、その後中国から入ってきた重陽の節句に取り込まれ、同じ日に行うようになりました。

 

ところで、江戸時代の料理書である『名飯部類(めいはんぶるい)』は、日本初のご飯百科と言われていますが、その中の『栗飯』の炊き方については下記のように記載されています。

「山村に住む人々の家では炊き込むものが多い。晩秋より初冬にかけて、熟した栗を採取して鬼皮をむき、日干しにして貯える。これを利用する時、渋皮をむき、洗い米に入れて炊く。(略)日干しにしたものをかちぐりといい、これを炊き込む者もあるが、贅沢のあまり(美味すぎるので)、腹いっぱいになるまで、好んで食べてしまうので、多くは生ぐりを使う。鬼皮をとり、渋皮をむいて刻むか、丸のまま洗い米に入れ、炊いて食べる」

『かちぐり』とは、栗の実をからからになるまで干し、うすでついて鬼皮と渋皮を除いたもの。食べるときは湯でもどし、軟らかくしてから用いますが、甘くてこくがあり、極めて美味な保存食で、戦国時代には武士の兵糧として用いられていたようです。

 

「養生訓」の著書として有名な貝原益軒が編纂した本草書である『大和本草』にも、「およそ栗は飢えをたすく。

凶年の備えとすべし」とあるように、江戸時代は凶作に備える保存食としても貴重でした。

少量で必要な栄養素を取ることができる栗ですが、私たちが食べている部分は種子の部分なのでナッツの一種といえますが、他のナッツ類と比べて脂質が少なく、逆にでんぷんが多いのです。またそのでんぷんですが、イモ類、穀物などと比較するとその粒子が細かく、これが上品な味わいを生んでいます。そしてミネラルや食物繊維が豊富、渋皮には抗酸化作用もあるという優れものです。

 

秋の味覚である栗、栗ご飯をはじめとして、旬の時期ならではの様々な食べ方で楽しみたいものですね。

 

◎参考・引用文献 「絵でみる江戸の食ごよみ」永山久夫 廣済堂出版

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